先日、おひとりの方が亡くなられました。
施設開所日に1番最初に入居され、
入居者様の中では最高齢の方でした。
何度かこの「お知らせ」でも紹介させていただいた私の祖母です。
1年前に脳出血を患い、要介護5になってからも
周りの助けを借りて、元気に過ごしておりましたが
この1ヶ月は食が細くなり、食事ものどを通りませんでした。
そんな中、様態が急変し、痰を詰まらせたのか、
心肺停止となり、救急車の中でも蘇生術を施しまたが、
モニターの波形は振れることはありませんでした。
病院に着き、心肺停止になってから1時間が過ぎたころ、
なんと!奇跡が起きたんです。
必死で処置にあたって頂いた先生から、
「今、心臓が動き出しましが、自力での呼吸は難しいです。」
とのこと、人工呼吸器装着の選択も迫ままれました。
人工呼吸器を着けても1日持つかどうかと言われ、
苦渋の決断でしたが、遠くに住む、娘や息子に会わせたい思いもありましたので、
人工呼吸器に切り替えました。
そして次の日の早朝に、長女、次女に見守られながら、
97歳の生涯を終えました。
命の火が消え、最後はいったん施設に戻ることとなり
夜に葬儀社の方が、遺体を安置場に移す際、
「他のご利用者の目もあるので、裏から出入りしましょうか?」と
聞かれましたが、お断りさせていただきました。
ここからは、私自身が考える、施設での「死」と「お別れ」について、書かせていただきます。
私も長い間、高齢者施設(主に特養)で働いていました。
多くの施設ではご利用者が亡くなった際、他のご利用者に知らせず、
無かったことのように振る舞う傾向があります。
理由としては、「他のご利用者が不穏や不安になるから…」です。
でも、それは違うと思うのです。
ほとんどのご利用者は 親の死はもちろん、
兄弟や友達の死を経験しているのです。
だから本当はしっかりと向き合うことができるのです。
死に目をそむけ、不安に思うのは、むしろ施設職員ではないかと…
仲間のご利用者が亡くなり、1ヶ月ぐらいたったあと、
「最近、あの人みないね?どうしたんだろう?」等の話が出ると、
ほとぼりが冷めたかのように、「あの人は亡くなったんだよ。」と知らされるんです。
その方が、薄情だと、私は思うのです。
少なくとも、カームライフの入居者様はみんな家族同然だと思ってます。
楽しいことも辛いこともみんなで共有するべきだと思うのです。
ご利用者、職員を含め、みんな家族の一員だから、
「一緒に笑い、一緒に泣き」
「ここに来てよかった」と思えるように…
この、答えが正解かどうかわわかりません。
あくまでも個人の思いなのかもしれません。
少し長くなりましが、今回は私の実祖母ですので、
周りご利用者に話し、一緒にお別れをして頂きました。
夜の8時ちかいというのに、わざわざ黒い服で来ていただいた方も…
沢山の方に見送られ、故人、家族幸せでした。
「皆様本当にありがとうございました」
改めてお礼申し上げます。
株式会社カームライフ
代表取締役 杉本雄治